“彩・ふるさと喜楽学でお話ししました” への1件の返信

  1. 今日の講座で私は、「狭山茶の産地は生産量でいうと入間市なのです」と話したのですが、KH様からメールでご指摘を戴きました。自分にとって目鱗のお話でした。以下引用させていただきます:
    ==KH様からのご指摘==
     お話の中で、「狭山茶の一番の産地は入間市なのに狭山茶と言うの?」という主旨の事を述べられましたのが気になりましたので、ご参考になればと、私の知るところを書いてみました。 
     「狭山茶」は享和2年(1802年)に、現在の入間市宮寺に住んでいた「吉川温恭さん」が近くの「狭山丘陵」北西部の「稲荷沢」の茶樹から作ったのが始まりとされています。Yahoo!の地図ではこの近くに「狭山」という字名が残っているようです。
     また、昔は埼玉県に「元狭山村」という村があったようですが、東京都瑞穂町と入間市にそれぞれ合併して、今はありません。
     瑞穂町には「狭山神社」や「狭山池公園」があるようです。ここで取れたお茶を「東京狭山茶」といいます。
     狭山市は昭和29年に入間川町、入間村、堀兼村、奥富村、柏原村、水富村が合併してできたようです。昔から「入間川の七夕」で有名なように駅名も「入間川」でしたが、現在は「狭山市駅」に変わりました。狭山市立「入間川小学校」があります。
     入間市は昭和41年に市制をとり、「元狭山村」の一部も合併しました。入間市立「狭山小学校」があります。
     聞くところでは、狭山市誕生の時に現在の入間市側から抗議の声が上がったようです。
    早い者勝ち!ではなくて、本来は現在の入間市が狭山市を名乗るのが筋のようですが、いかがでしょうか?
     内容にご不審な点はお手数ですが、ご自分でお調べくだされば幸いです。乱文・誤字・脱字はお許しください。
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