自転車で10分ほど走ると雑木林の面影が残る道沿いにお地蔵さんが佇んでいる。
狭山市の指定文化財<下水野の地蔵尊>だ。説明によると「この地蔵尊は貞享二年(1685年)に造られたものです。水野は寛文六年(1666年)に川越藩主松平輝綱の命により堀金村の名主であった牛久保寛忠と息子の忠元が中心となって近在の農家の二男・三男と共に新田開発にあたりました。その後二十年が経ち入植した人の中でこれまでに亡くなった人を供養するとともに、自分たちの現世と来世の安楽を願ってこの地蔵尊が造られたと考えられます」
今でこそ、雑木林が開発されて住宅が広がってきているが、17世紀後半の江戸の発展を支える近郊農業地域として、ここは川越藩が推し進めた新田開発の地域だったのだ。このお地蔵さんは「夜泣き地蔵」「化け地蔵」「子育て地蔵」などと親しく地域で呼ばれてきたそうだ。江戸初期から今日に至るまで地域を支えてきた住民が様々な形で地蔵を信仰してきた証に違いない。