近代日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一の生涯を描く、NHK大河ドラマ「青天を衝け」が現在放映されている。渋沢栄一は現在の埼玉県深谷市で蚕や藍玉づくり生業とする農家に生まれた。渋沢栄一で思い浮かぶのは幼少のころから論語に親しんだこと、数々の事業を立ち上げた実業家ということ。数年後に発行される一万円札の肖像に使われると話題となった。正直この程度が私の認識だった。
寄居方面に出掛けたついでに、深谷市の渋沢栄一記念館に立ち寄った。記念館は深谷市の施設で公民館と併設されれている。目の前の大きな駐車場は、大河ドラマの影響で増加する参観者対策であろう。展示室には栄一の略歴に沿って、様々な資料や写真が展示されている。先週見たばかりの大河ドラマの登場人物を思い浮かべながら興味深く説明を読んだ。
講義室では、渋沢栄一のアンドロイドが動いていたが、残念ながら参観は予約者のみで遠目から眺めるだけだった。体育館も兼ねた多目的室では、栄一の関連映像が流されていて簡潔にまとめられていた。キーワード:幕藩体制への反発、尊王攘夷運動、そして一転して幕臣(一橋家に仕官)、パリ万博に随行し欧州文明/人間平等に感銘、大蔵省から実業界へ、企業創設・育成(富岡製糸場、日本煉瓦製造など500余り)、信念「道徳経済合一説」、社会福祉/国際交流にも尽力、、など。<論語の里マップ>
案内図を見ると記念館の近くに栄一の生家がある。記念館のスタッフさんに聞けば、歩いて10分、車で2分ほど(駐車場完備)だそうだ。早速、中の家(なかんち)と呼ばれる旧渋沢邸を訪ねた。苗字帯刀を許された豪農の立派な門構えの屋敷だ。住所には深谷市血洗島と書かれている。血洗島という独特な地名がそのまま引き継がれているのも偉人を輩出したこの地なりの誇りなのであろう。<屋敷の主屋>
大きな屋敷には、主屋や複数の土蔵などが整然と並び藍玉づくりの頃の作業の面影が残されていた。全体が質素で落ち着いた雰囲気だ。大河ドラマの映像が浮かんでくる。このような環境で栄一【吉沢亮】が父市郎右衛門【小林薫】から論語を、母えい【和久井映見】からは慈悲の心を学んでいたのだ。栄一はここに24歳まで住み、従弟の渋沢喜作【高良健吾】とともに京都へ上る。そこで平岡円史郎【堤真一】の計らいで一橋慶喜【草彅剛】に仕官することになる。今後のドラマの展開が楽しみだ。<屋敷の土蔵>